医療の現場を支える存在として、質の高い看護を提供元看護部長 瀬下律子

野村病院 元看護部長 瀬下律子
元看護部長 瀬下律子

病院開設以来、“野村病院の顔"として地域医療に貢献

 戦争の爪あとが街のあちこちに残り、わが国がまだ貧しかった1952年(昭和27年)、武蔵野の杜の一角で慈生会野村病院は産声を上げた。当時、多くの人の命を奪っていたことから「国民病」と呼ばれた結核専門の療養病院として開設されたのである。病床数39、職員12名の、こじんまりとした規模でのスタートだった。
それから70年。結核病棟から一般病棟、そして総合診療体制へと病院の形態は変化してきたが、患者にとって最も身近な存在である看護師を統括する看護部は、一貫して病院の重要な機能を支えてきた。看護部の歴史は野村病院の歴史そのものであり、“野村病院の顔"として、医師とともに地域医療に多大な貢献をしてきたのである。
2024年現在、野村病院の病床数は、一般内科34床、緩和ケア病棟12床、一般外科系43床、回復期リハビリテーション病棟44床の計133床となっており、外来・内視鏡、中央材料室・手術室、予防医学センター看護科、野村訪問看護ステーションも加えて、看護部は慈生会の幅広い医療現場を支えている。
そんな看護部では、「あたたかい看護を目指して、いのちを見つめ、いのちに学ぼう」を理念に、一人ひとりの看護師が高い専門性とスキルを活かしながら働いている。
瀬下律子さんが野村病院の看護部長として入職したのは、2005年(平成17年)のこと。川崎市立川崎病院を皮切りに、いくつかの公立病院や看護専門学校の専任としてキャリアを積んできた瀬下さんにとって、初めて経験する公立以外の病院であった。
「それまで公務員として勤務した病院は全て、入院基本料2対1(現在の10対1)の病院でした。ところが野村病院は、入院基本料3対1(現在の15対1)で、病床規模は平均患者数30人と小さいため、日勤でも看護科長と看護スタッフ2~3名と看護師の人数が圧倒的に少ないことにまず驚きました。しかし、看護師の実務経験年数は平均約10年あり看護の質は高く、守家副看護部長をはじめ皆さんとても優秀で、人柄も申し分ありませんでした。こういう人たちが今の野村病院を支えているのだ、と改めて感じるとともに、この看護師数では新人や新採用者に対して OJT による看護師教育は困難、なんとしても看護師の増員が必要だと考えました」と瀬下さんは当時を振り返る。
次に驚いたのが、野村院長(当時)の職員教育に対する熱意だった。
「外部研修や学会への参加、新たな資格取得支援などが積極的に行われ、非常に恵まれた環境にあると感じました。このことは野村病院だけで働いているとなかなか実感できませんが、看護師のキャリア形成を考えたとき、とても大切なことですし、野村病院の強みだと思います」。

看護部長として大学院でトップマネジメントを学ぶ

教育に対する野村病院の姿勢は、看護部長にも当てはまる。看護部長は全看護師を統括するだけでなく、病院によっては副院長を兼任するほど、病院経営にとって重要な役職である。そのため瀬下さんは、野村病院への入職と同時に武蔵野大学大学院に入学し、勤務を終えてからの時間と休日を利用して修士論文に取り組み、これを野村院長も後押しした。大学院で勉強することは、恩師からのアドバイスがあったからだという。
「規模の大きな病院なら病院経営に関する専門の事務職員の方がいて煩雑な業務を全て引き受けてくれます。しかし、中小の私立病院や個人病院の看護部長として働くなら、病院経営にも明るくなければダメだと忠告されたのです。そこで、転職を機に、大学院で病院のトップマネジメントとしての知識を学ぼうと思いました」
こうして仕上げた論文「医療・福祉における経営持続性の研究」─(事例研究)業暦50年を超えた中小病院の事業点検─は、総資本回転率などお金の観点から病院経営のあり方を考察したもので、現在でも東京大学大学院社会人教育プログラムの参考資料として、この論文が採用されている。
もう一つ、瀬下さんが感心したのは、よりよい看護を提供するために必要なことにお金を惜しまない、という院長のポリシーだという。
「私が入職したとき、非常勤ではありますが褥瘡ケア専門の WOC(皮膚・排泄)認定看護師看護師が活躍していて“院内で新たな褥瘡をつくらない"というスローガンのもと褥瘡予防に取り組んでいました。患者さんが入院すると、褥瘡発生リスクを評価して使用マットレスを決定します。これまで私が勤務していた病院にも、エアーマットレスなど特殊なマットレスがありましたが数が少ないためより重症な患者さんが優先され、必要なことはわかっているのに使用できないことがありました。しかし、野村病院には、病院が費用を負担し、レンタルできる仕組みがありました。看護師にとって、やらなければならいことが実践でき、目標が達成できることはやりがいにつながると思います。」

看護師が気持ちよく働ける環境づくりに注力

瀬下さんが看護部長を務めた2005年からの5年間は、野村病院が地域医療を担う病院として飛躍を遂げた時期でもある。2006年の回復期リハビリテーション病棟開設、2007年の総合診療外来開設、2009年の診療連携外来開設、2011年の緩和ケア病棟開設準備と、毎年のように事業の拡大・拡充が行われた。これに伴って、看護部もまた、質と量両面からの対応が求められた。
「例えば、回復期リハビリテーション病棟をつくるといっても、療養病棟とは看護基準も異なりますから人員の確保が必須ですし、看護部としておいそれと「YES」とは言えません。そこで、開設時にまでに許可病床数に応じた看護師を確保することは困難であること、当初は看護師の数に見合った患者しか受け入れられないことを院長に伝え、了承を得ました。開設日の変更こそ認められませんでしたが、一方的に上から命令されるようなことはなく、しっかりコミュニケーションを取りながら対応することができました」と瀬下さんは語る。
この間、看護部長として最も力を注いだのが人材の確保と定着である。
「とにかく人をたくさん採ればいいというのではなく、採用面接には徹底的に時間をかけました。本人の目指すこと(キャリアプラン)と野村病院でできることが合わないと、すぐ離職してしまいます。面接した人の中には、今勤務している病院がいかに恵まれているか一緒に確認することで、転職するのではなく働き続けるようアドバイスしたこともあります。
また、三十代の子育て世代を採用する際には、就業時間や勤務日数について個別に対応し、短時間パートから始め徐々に伸ばす、また規定時間数の就業が可能なスタッフにはできるだけ常勤になるようすすめていくことで、就任1年後には入院基本料を従来の15対1から10対1に変更することができました。

野村病院の良さ・強みをアピールしよう

看護師が気持ちよく働ける環境を整えることに注力しました」と瀬下さんは振り返る。
現在、看護師の採用は人材派遣会社の存在を抜きにしては語れない。また、若い世代を中心に、アルバイト感覚で働く看護師が増えてきているのも事実である。そういう状況の中で、人材の確保と定着のためには、野村病院がいかに働きやすく、教育に力を入れているかをアピールすることが不可欠だと、瀬下さんは強調する。
「今や大学付属病院でも外部研修は自費で受けるのが当たり前になっていますが、野村病院は全額を負担してくれます。これだけでもいかに恵まれているかがわかると思います」
このほかにも、野村病院にはさまざまな長所がある。例えば、風通しの良い職場環境。規模が小さいため、部門が異なっていてもコミュニケーションがとりやすく、伝統的にお互いに助け合う風土がある。ハード面に関しても、予防医学センターがあるため、外来患者は検査結果をすぐ知ることができるほか、回復リハや緩和ケアなどの幅広い診療科を持ち、さらには訪問看護ステーションによって、病院内だけでなく自宅でのケアを提供する体制も整っている。「私が看護部長を務めた期間に野村病院は大きく発展し、幸い大きな事件・出来事もありませんでした。しかし、その後に東日本大震災や新型コロナウィルス感染症のパンデミックが発生し、そのつど野村病院もギリギリの対応を迫られたのではないでしょうか。これからも同様のことがいつ起きても不思議ではありませんし、人口減の影響で、病院経営や人材採用がさらにむずかくしなることが予想されます。それでも私は、野村病院には良いところがたくさんあるし、看護師にとって働きやすい職場だと思います。これから創立100周年に向けて、この良さ・強みをもっと伸ばし、地域での存在感をさらに高めていってほしいと思います」と、瀬下さんは野村病院への期待を述べている。

※『地域と共に歩む野村病院』-創立70周年の先を目指して-からの転載