改革を積み重ね、病気の早期発見と健康維持に多大な貢献元野村病院予防医学センター所長 髙松慶太
医薬分業の先駆けとして 予防医学センターを開設
1952年(昭和27年)に結核病院としてスタートした野村病院は、1960年には早くも1週間人間ドックを開始した。これが野村病院における予防医学の始まりである。さらに1967年に健診車による集団健診も開始し、1976年には野村病院予防医学センター(以下、予防医学センター)を開設、本格的に健診事業に乗り出した。これは、わが国における医薬分業の先駆けであり、これだけ早い時期に健診事業を手がけたことは、予防医学の意義と重要性に着目した野村秋守初代理事長・院長の慧眼以外の何ものでもない。それ以来今日に至るまで、予防医学センターは病気の早期発見のみならず、病気の予防と健康維持に多大な貢献を果たしてきた。
病院経営の面から見ても、健診事業は病院事業と並ぶ柱として慈生会を支えてきた。むしろ、厳しい業績を強いられがちな病院経営が今まで継続できたのは、健診事業があったからといっても過言ではない。
1999年(平成11年)、その予防医学センターの5代目所長に就任したのが髙松慶太先生である。髙松先生は1993年から野村病院に内科医として勤務し、当番制で予防医学センター受診者の面談も担当していた。
「当時は、大病院の人間ドックや市民健診を受託していた中小の病院こそありましたが、本格的に健診事業を行っているのは野村病院だけでした。1日30人~40人の受診者を受け入れていて、健診車も遠方まで出張するなど、野村病院と言えばむしろ健診事業のほうが有名でした」と振り返る。とはいえ、当時はまだシステム化が進んでおらず、血液検査の数値判定は一つずつ医師が行い、診断所見のコメントも手書きで行っていた。そのため医師の負担が大きく、手書きの文字が読み辛い、判定基準が明確でないため医師の裁量任せ、検査結果が受診時の単年度分しか表記されていないため前年との比較ができない、といった問題も指摘されていた。
そこで髙松先生は所長就任と同時に予防医学センターの抜本的な改革に取り組み、2000年11月の創立記念日に、予防医学センターリニューアル構想「野村21」を発表した。これは、予防医学センターにおける健診業務の質と効率の両面でのさらなる向上を目指すプロジェクトで、人・健診システムのソフト面、施設・設備・機器のハード面を同時に改善していこうというものであった。
それに向け、まず組織改正を行い、健診事業における業務分掌を明確にするとともに、部署間の意思疎通と連携を図る体制とした。その上で、次のような改革に取り組んだのである。
診断支援システムの開発など抜本的な改革を推進
第一は、アナログからデジタルへの移行である。それまで医師が行っていた血液検査の判定を自動化するとともに、受診者の身長・体重・過去の病歴、自覚症状、食生活などの情報をオンラインでコンピュータに取り込み、それをもとに所見を自動記述するシステムをつくり上げたのだ。実は、髙松先生は所長になる前の臨床医のときから、独自にデジタル化に取り組み、それを提言にまとめて医局会議に諮るという活動を行っていた。
「夜勤で暇なとき、ロジックに基づいて、市販の表計算ソフトでコツコツとプログラムを組み、野村オリジナルの診断支援システムに仕上げていきました。そのために用意したコメントの文章例は1万超にのぼります」
髙松先生は、こうして独自に開発したシステムに最新の医学情報を取り込みながら、さらにブラッシュアップしていった。開発当初のシステムは、いくらロジックで組み立てられているとはいえ、その元になっているのは髙松先生個人の知識や知見である。中には時代遅れのものもあるかもしれない。それをより客観的で根拠のあるものにするために、糖尿病や高尿酸血症などの病気ごとに、最新のガイドラインをシステムに取り入れていったのである。これによって診断支援システムは最新医学に基づいたものへと進化していった。
「同じ検査結果を見ても、世代の異なる医師では違った診断になり、コメント内容も変わってくることがあります。事実、受診者の方から“去年と数値は変わっていないのに、要精密検査になったり、医師のコメント内容が違うのはどうしたことか"という問い合わせやクレームを受けたこともあります。しかし、最新のガイドラインに基づいた判定やコメントが自動表示されれば、そういう問題は起こりません。もちろん、受診者の特性や事情に合わせてコメントに手を加えることも可能です」と髙松先生は述べる。
この診断支援システムには副次的効果もある。ガイドラインに沿った判定・診断を行えば、万一のときの訴訟リスクを最小限に抑えることができるのだ。しかも、次々に更新されるガイドラインを隅々まで読むことができない医師にとっては、医学界の最新情報を取り入れる機会にもなる。このため、髙松先生が人間ドック学会でこの診断支援システムを発表すると、多くの医師から高い関心が寄せられ、システムの導入を検討する医療機関も現れたという。
健診所要時間の短縮、 施設のリニューアルも実施
第二の取り組みは、「時短」である。それまでは朝9時に来院してすぐに検査を受けても、結果が出て医師と面談できるのは午後になってしまい、受診者は長い待ち時間を余儀なくされていた。それは同時に、受診者数をそれ以上増やすことができず、予防医学センターにとって機会損失となることを意味する。
そこで1997年に、「日本最短の人間ドック」を掲げて、健診所要時間を2時間に短縮する「D-120」プロジェクトを立ち上げ、業務の効率化に取り組んだ。その一つが血液検査の内製化である。それまでは血液検査を外注していたため、結果が出るまで時間がかかっていたが、予防医学センター内に検査室を新設することによって大幅な時間短縮を実現した。それと同時に、各担当業務の見直しも行い、徹底的な業務の効率化を図った。その結果、今では日帰り人間ドックの所要時間は3~4時間、法令定期健康診断は1~2時間にまで短縮されている。
第三は、ハード面の取り組みだ。2002年に野村病院本館と並んで予防医学センターの改修工事に着工、翌2003年に竣工した。改修にあたっては、専門家による耐震診断結果に基づいて耐震補強を行うとともに、施設玄関を道路側から奥に移動、入口には案内カウンターを設置して、明るく入りやすいレイアウトとした。内装についても木目を基調とし、落ち着いた雰囲気の中で受診できるようにした。
こうして、2003年から新装なった施設での健診がスタート。受診者はより良い環境で、より適切な健診を、より早く受けることができるようになった。そして、これを機に健診事業はさらに大きく成長していったのである。
さらなる発展に向け、まだまだやるべきことはある
以上のように、予防医学センターは髙松所長のもと次々と改革を行い、質・量ともに大きな飛躍を遂げ、今では地域を代表する存在となっている。この間を振り返って髙松先生は次のように語っている。「もし野村病院に勤めていなかったら健診事業に携わることはなかったでしょうし、予防医学について深く考えることもなかったと思います。予防医学センターの発展とともに、私も成長できたと思っています」
超高齢化社会を迎え、健康寿命を伸ばすためにも、健診の重要性はますます高まっている。それだけに、この事業はまだまだ伸びる余地があるし、伸ばしていかなければならないと髙松先生は強調する。
「保険診療が基本の病院に比べて、自由診療の健診事業は規制が少なく、工夫次第でさらに成長・発展できるはずです。国の施策が病院やベッド数を減らす方向に向かっている以上、病院経営は今後ますます厳しくなることが予想され、それを補うためにも、野村病院予防医学センターにはまだまだやるべきことがあると思います。今後のさらなる発展に期待しています」。
※『地域と共に歩む野村病院』-創立70周年の先を目指して-からの転載